1月6日-8日滋賀合宿報告

からだとことばといのちのレッスン、新年は滋賀琵琶湖畔でスタートしました。合宿の主催者、Art&Learningの小石原智宏さんが、3日間の流れを纏めてくれました。

 

【からだとことばといのちのレッスン滋賀合宿ワークショップ報告】


300106-08
【からだとことばといのちのレッスン滋賀合宿ワークショップ報告】

人間と演劇研究所の瀬戸嶋 充・ばんさんを講師にお招きし「からだとことばといのちのレッスン」の合宿ワークショップを行いました。
「からだとことばといのちのレッスン」は竹内敏晴の「竹内レッスン」と「野口体操」を応用したレッスンです。最終日には、宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」の朗読劇を行いました。
--------------------------------------------------------
1月6日 一日目
野口体操でからだをゆすり強ばったからだをほぐした。からだの二要素「粗大」「微細」のうちの微細の運動。ペアになって、あおむけになった相手の足の指先を持って細かくゆする。観察をしていると、微細なゆれが頭の先まで伝わっているのが分かる。微細な振動によって不思議とからだがゆるんでくる。左足、右足、左手、右手と順番にゆする。ゆすった部分の印象を共有する。「スーっと伸びた感じ」「左足の存在がはっきりした感じ」のように、どんなふうにそこに存在するか言葉にする。左足をゆすってもらった後、スーっと大地に向かって伸びていく感触を得た。右足を触られた瞬間、自分の足がかるで凍った冷凍まぐろのように固くて驚いた。他人の足のようにつながりが感じられなかった。足の裏をしっかり押す。普段、上半身の意識の世界で生きていると足の方を忘れてしまう。そこをしっかりと思い出すように足の裏を刺激する。丁寧に全身をゆすってもらった後は、目を閉じながら座り呼吸をした。呼吸を腹や足先まで通し、しっかり吐く。実は、「吐く」という行為が重要であった。吸うから始めると息がつまって苦しいのだ。吐ききるから、息が吸える。十分に座って呼吸することを味わった。「深く呼吸をすることを第一に考える」と瀬戸嶋さんはおっしゃられた。
夜は竹内のことばのレッスン。「ララララー」と声を発し相手に届ける。昨年、声が相手になかなか届かず苦労をした。声を発したが、届ききらない。「菜の花畑」のメロディーに動作を加えた。ようやくはっきりしだし声が響き始めた。他にも苦労されている参加者の方がいた。「情報を正しく伝える声」ではなく「実感のこもった響き合う声」をどうすれば発せられるのか。自分自身と向き合うことになるのだが、瀬戸嶋さんが最後までつきあってくださる。表情が少しづつ変わっていく。空手の組み手のように正拳をついて「ター!」「ター!」と相手の腹を突き抜ける。方向がはっきりしないと相手の腹を貫けない。一つ一つを大切にして「ター!」と正拳を突く。声が変わってくる。自分自身の変化はもちろん嬉しいが、人が変化する瞬間に立ち会えるのは幸せなことだと感じる。

1月7日 2日目
2日目から宮沢賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」を読んだ。「『鹿踊りのはじまり』と悩んだが、難しい方をやってみたい」と瀬戸嶋さんはおっしゃられた。
「ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係でした」冒頭の一文を読んですぐにストップがかかる。「ゴーシュは一体、どこにいるんだ」と問われる。そこから呼びかけのレッスン。ペアになる。手招きをして「ゴーシュ」と呼ぶ。からだが「呼ばれたな」と実感すれば動き出す。意識で動くのではなく「動かされる」ということを大事にする。何度も試みたが難しかった。「手が刺さる感じがする」「つながりが感じれない」指先からつながりを作る。そこから呼びかける。そういうものだそうだ。
物語の読みを進める。「あーはっはっは」ある女性が笑うところで苦労をしていた。「笑えない」瀬戸嶋さんが隣にいって一緒に笑う。続けていくとその女性の声は徐々に外にとんでいくようになった。表情が変わった。あとで聞いたのだが、「その人の中で動いているものを見つけた」のだそうだ。「動こう」「出よう」としているものがあるから隣に行く。隣で一緒のからだになる。動くものがない人に無理矢理出そうとすることはしないのだそうだ。この言葉がとても印象に残っている。無理矢理、意識でもって出そうとしてもそれは難しいことなのだろう。
夜は、さらに声について探究する。「楽器であるからだ」みけんや頭の先、後頭部、首、腹など、からだのいろいろな部分を響かせて声に出す。喉や口で響かせると弱くなる。違いが面白かった。腹から声を出して猛獣の雄叫びの声を出すことが難しかった。どうも、自我を崩壊させたりはなしたりすることにどこかでストップをかけているような気がした。 

1月8日 3日目
「セロ弾きのゴーシュ」の役割を決め、細かな演出をブラッシュアップしていった。舞台への登場の仕方やはけ方の確認。次の部分を受けての動作や間の取り方の確認。チェロはどんな音が出てるかの確認。最終チェックをして、約1時間の本番の舞台に立った。本番の前に瀬戸嶋さんが「舞台は滝である。流れ落ちるかどうかのギリギリのところを必死で泳いでいる。いったん始まったら止まれないそういう場所です。失敗しても本気で泳ぎきってください」とおっしゃられた。意識や意図から離れた空っぽのからだで、まさに外にエネルギーをとばし合った、本気の舞台であった。お互いのエネルギーに触発されて、情景が立ち上がってくる。笑い声が生まれる。緊張感はあるけど、あたたかい場ができた。お互いのいのちや存在に触れあう時間であったろうと思う。「かっこう、すまなかったなあ。おまえのことを怒っていたんじゃないんだ」ゴーシュの最後の言葉で幕が降りた。
(文責:小石原智宏)